『物語の始まりの日』
あの事件から数日。
今、私のお父さんはつい最近あった事が嘘のように静かに病室で寝ています。
つとめ先の工場で機械に挟まれて、緊急手術。
輸血に必要な血液が不足してクラスの皆から提供者を募った位の怪我。
けれど、お父さんは手術を担当した先生が驚く程の回復を見せたの。
『この調子なら、もうそろそろ意識が戻るハズです。意識が戻れば、
もう数日で退院できるでしょう。奇跡としか言いようがありません。』
ですって。奇跡って一言で片付けられるのもあまり好きじゃないけど、
お父さんが助かって本当に良かった。私、もう自分の目の前で大切な人を失うなんて
絶対に嫌だもの・・・。あ、お父さん、気が付いたの?
「う・・うーん。」
「お父さん?気がついたのね!良かった!」
「真雪・・か?・・私は一体?」
「まったくもう、心配したんだから・・・。」
どうやらお父さんは事故の直後から自分の身に何が起きたのか見当もつかない様子だった。
私は事故のあとで起こった事をお父さんに順を追って話した。
クラスの皆に献血してもらった事、先生に回復がとても早いと言われた事、今までたくさん
の人がお見舞いに来てくれた事。
「そうか、私は助かったんだな。たくさんの人達に支えられて。」
「いつもは私の事が苦手なクラスの男子もお父さんを助けるのに
協力してくれたのよ。あ、ちょっと妙な事もあったんだけどね。」
「妙な事?」
「あ、ううん、何でもない。私の事が大嫌いな人もちょっと・・ね。」
犬の血でイタズラしようとした男の子がいたなんて話、お父さんに言う必要無いわ。
田中くんのおかげでずいぶんクラスには馴染んできたかな、と自分では思ってたけど、
まだ嫌われてるのかしら、私?
でも、よく考えたら皆あの場で採血してたんだし、犬の血なんて出る
訳ないわよね。きっと何かの間違いだと思うんだけど・・・。私がこんな考え事を巡らせてる間、お父さんはふと何かを思い出したようで、遠くを見る
ような顔で静かに話を始めた。
「妙な事と言えば・・・私はあの時、天使に会った気がする。」
「天使?神話に出てくる羽根の生えてる神様の使い?」
お父さんは事故の後で一回だけ、痛みのために意識を取り戻したそうなの。
体は全身痛くて動かないし、その時は病室の天井が見えたそうだから、きっと手術が
終わって麻酔が切れた頃なんじゃないかと思うわ。
気がついてから痛くて辛い時間がずっと続いていたそうよ。
それで、『早く楽になりたい』って思ったその時、枕元にすっと天使が立っていたんですって。
天使は一言も言わず、ふと両手を上に広げると背中の輝く翼を広げ、その手でお父さんの体に
触れたの。その時お父さんには電気が流れるような感覚があって、そのあと不思議に痛みが
引いて、生きる力が湧いてきたんですって。
「へー、そんな事が。でも、きっと幻でしょ?その時お父さんは
顔にもグルグルに包帯巻いてたし、見える訳無いわよ。」
「いや、確かに見たんだよ。包帯の隙間から見えた天使の顔だって
覚えてるんだ。そう、ちょうどお前と同じ位の年頃でな、」
正直な話、私はこの時きっとお父さんは幻覚でも見たと思ってたわ。
でも、お父さんは天使の人相を、まるで本当に見たかのように細かい所まで話し始めたの。
そして、その1つ1つは・・・多分私の気のせいだとは思うんだけど・・・田中くんに
良く似ていた。身長や体格まで全部聞き終わってみても、やっぱり私の頭の中で想像した
天使は頭に輪っかをつけて、羽根の生えてる田中くんそのものだった。
『な、な、な、何で田中くんになっちゃう訳?!』
こんな事ってあると思う?話だけで聞いた天使の姿が、まったく実在の人と同じになるだなんて。
お父さんが最初に私と同じ位の年頃と言ったから?
でもクラスには他に男の子はいっぱいいるし、たまたま田中君が似てるってだけで・・・。
あー、もう、一体何で田中くんなのよ!?
「どうした、真雪?お父さんを助けてくれた天使に心当たりでも?」
私はこの時、よっぽど変な顔をしていていたんだと思うわ。お父さんはそんな私を見て、
何かとっても可笑しそうにそう聞いてきたんだもの。
「う、ううん!別に。・・お、お花の水でも変えてくるね。」
私は花瓶を手に取ると、慌てて病室を後にした。自分でもこんな事をした理由が良く
分からなかったけど、天使の顔を田中くんで想像していた事をお父さんに見抜かれたようで、
何かとっても恥ずかしかった。でも、何でそれで慌てちゃったんだろう?
別にそんな必要無いのに?
男の子の事でこんな変な行動しちゃうなんて、とっても私らしく無いわよね。
そんな風に自分のおかしな行動を自嘲しつつ、足早に病院の廊下を歩いて行った。
しばらくして落ち着いたけど、そんな私をもう一回慌てさせたのは、
病院の入り口の方から歩いて来た田中くん本人だった。
「こんにちは、山中さん。お父さんの容体はどう?」
「またお見舞いに来てくれたんだ。・・ありがとう。」
田中くんは以前から、皆とは別にお見舞いに来てくれたの。きっと真面目な彼の事だから
『委員長として』だとは思うんだけど・・・。
でも、今までお父さんが目が覚めないこんな状況の中で、田中くんの数回の訪問は
私にとって何となく心強かった。今は気分的に真っ正面から田中くんの顔を見れずに
足早に歩く私の少し後を歩く彼に、お父さんの意識が戻った事や、回復が早くて
先生が驚いていた事などを振り向きながら告げる。
「よかった」
まるで自分の親の事のように、田中くんは喜んで笑ってくれた。
いつも『人間らしく』って言って、真面目に一生懸命に頑張ってる田中くん。
私は男嫌いのやな女になっちゃったけど、彼はいつも恩人に報いるために精一杯
生きてる。けど、彼が時々こんな風に見せてくれる笑顔もとっても素敵だと思う。
いつもこんな優しい笑顔の人と一緒にいられたら・・・。
ふとそんな風に思った時、私は自分の胸が『トクン』って大きな音をたてたような気がした。
ラブレターをくれたり、「つきあってくれ」って言ってくる人達に対しては、
こんな事は絶対に無かった。でも、さっきから大きくなり続ける心臓の音は、田中くんへの
私の想いをはっきりと気付かせてくれる。
『私・・・私、田中くんの事が・・・』
お花の水を代えるフリをして、慌てて田中くんに背中を向ける。
どうしようもなく落着かなくて、持っていた花の匂いをそっと嗅いでみた。
でも、私の大好きなこの花の匂いも、早くなってる鼓動を静めるには不十分だったわ。
そんな私の口から、ふと飛びだしたのは、さっきの病室でのお父さんとの話だったの。
この時の私の頭の中は、きっと完全にパニック状態だったと思う。
「お父さんがね、妙な事いうのよ」
緊張して喉がカラカラになってた。でも、不思議と言葉は自分の思った通りに話せたわ。
そういえば、以前にトラックにひかれそうになったのを田中くんに助けてもらった時も、
こんな風に素直に話せたっけ。いつも男の子を遠ざけて来た私が、
あんなに素直に自分の事を話せたの、よく考えたら初めてかしら?
心臓は飛び出しそうな位ドキドキしてたけど、少しだけ勇気が出てきた。
「あはは・・・お父さん、幻 見てたんだよ」
「そうよね、でも」
背中越しで話をしてたのを精一杯の勇気で向き直り、頑張って田中くんを見た。
陽くんの話を打ち明ける事ができた田中くんなら・・・彼の前なら私はもっと素直になれる。
田中くんに自分の事を知って欲しいから、今は恥ずかしがってる場合じゃないわ。
いつかきっと、自分の想いを告げるためにも・・・。自分でも、ちょっと笑いそうだったけど、
今の私の口からはすっとこんな言葉が出てきた。
そう、田中くんの前だから見せられる、私の本当に素直な気持ち。
田中くんに負けない位の笑顔を彼に向け、今言える精一杯の気持ちを込めて告げる。
「なぜだか私・・・その天使はホントに田中くんだったように思えるんだ」
その言葉の後で、私にはハッキリ見えたわ。彼の背中の、輝く天使の翼が・・・。
真雪は知らない、自分の父親を助けたのが吉康の想いであった事。
吉康は知らない、サルサとタケトがその時少し手助けをしてた事。・・・そして2人とも知らない。
吉康が獣人族である事を自覚し始めた日。
真雪が吉康を特別な存在に想い始めた日。2人の『変わらない物語』の始まりは、実はこの日からだったのでした。